向こう岸の人

 かおる姫キター!(これもある意味向こう岸)
 ホントは武道館をはるべき。
 本日は松浦亜弥さんの19歳のお誕生日でした。オメデトウございます。聖誕祭もどうだったのでしょうか?後ほど回ろうかと。
 ただ個人的なことを云うと、実は松浦さんの単独紺は一回も行った事がありません。シングルは全部知ってますが、アルバムは全部聞いたことがない。まあぶっちゃけあややに関してはヲタはおろか、世間よりも関心は薄かったりします。何でだろう?ということをつらつら考えてたのですが、どうやら彼女の始まりが、娘。と異なり、日本の伝統的なアイドルのフォーマットに沿っていたからではないかということに思い当たりました。
 とここまで書いた所で自分語りに入ります。他の方の自分語りは滅法好きですが、自分のはちと気恥ずかしいのでこれから先はふせます。大したことではないし、独善的なことをだらだらということも一つにはあるんですがね。やぐっつぁんアンガールズエデンを見たほうがよいかと・・・
 さて、僕の小学校時代、云わばエイティーに遡ることにします。
 僕が小学校の頃、松田聖子さんやキョンキョンなどアイドル界はひとつの隆盛を迎えていたような気がします。「気がする」というのは、当時田舎のガキンチョだった僕は彼女たちを「テレビに出ている有名な人」という認識しかなかったからです。要は実体のあるリアルな存在と思えなかった。いわば記号的な存在ですよね。
 今考えてみると、彼女達の多くは人為的に作り上げられた「都合の良い」イメージを「演じて」いたような気がします。事務所側としては、その枠を崩すことは当然タブー。「アイドルは恋愛禁止」というのはその最たるものかと思います。ファンも、ワザとらしさを感じるものの、見て見ぬフリをすることをお約束として、アイドルを楽しんでいたのでしょう。僕の感じていた「リアリティのなさ」というのはこの辺りにあったのかなぁと、後付ながら思います。
 そんな「アイドル」にイレコムことなく、中学校に上がった僕はBOΦWYやレベッカTMネットワーク米米クラブといった新しい音楽の洗礼を洋楽とともに受け、「アイドルが歌う歌」というのをドコカに置き忘れて成長しました。時を同じくしてアイドルシーンが下火になっていったこともあるかもしれません。なのでモーニング娘。に会うまでは「アイドル」には疎かったというのが正直な所です。
 ただ娘。が先に述べたフォーマット「アイドル=記号的存在」であれば、僕は矢張りファンにはならなかったと思います。ASAYANを見ていた僕が魅かれたのは「普通の女の子」たちが出す素の部分であり、グループ内の緊張感でした。云わば「リアル」の部分ですね。裕ちゃんが関西弁で喋ると何やらピシッとした雰囲気になり、僕はそれをドキドキしながら見てました。はじめは「つり橋の恋」だったのかもしれませんが、いつの間にかイレコンでましたねぇ。
 そもそもアイドルの素人化、「素の部分」の発露というのは「おニャン子クラブが最初らしいですが、その頃は奇面組の主題歌を歌っている人たち」というあっているような間違っているような程度の認識しかなかったので僕にとってはモーニング娘。ファーストインパクトかつディープインパクトでした。
 翻って考えると松浦亜弥さんの登場は僕の目には、娘。とは対極の「素の部分が見えにくい存在」、言い換えれば「かつてのアイドルの主流」的存在として写りました。姫路出身なのに一切関西弁が出なかったところなどもそういう意識に拍車をかけてました。その為、僕が一切関心を向けてこなかった「日本の伝統的アイドル」であったが故に、松浦さんは僕の網に引っかかってこなかったのだと思います。まあそれだけではなく「僕のストライクゾーンではなかった」という極めて散文的な理由もあるんですがね。可愛いとは思いますよ(言い訳気味)。
 この「はじめの一歩」のせいで、松浦さんは僕の中では放置されてきたわけですが、それでも近頃は松浦さんの素の部分が垣間見えてきております。ミキティとのこと(今頃かよ!)、最近ではこの前のBBLにおけるみーよのお話。などなど。矢張りハロプロの屋台骨を支える看板娘な訳ですからこのまま「食わず嫌い」は損な気がします。という訳で最初はアルバムから。後はあややの良いサイトを回ってみようかと思います。目から鱗な気がする。
 「あやりか」っつーかこれ以外分からん。
 ちょっと思ったのは梨華ちゃんあややのことを「亜弥ちゃん」って呼んでますよね。新鮮に聞こえるのですが、なんかコダワリがあるのかしらん。