ココニイルコト

 「何のためにこの日記を書いているのか?」と問われたなら、今の僕はこう答えると思います。「10年後の自分のために書いている」と。
 突然ですが「黄金時代」というのはそれが過ぎ去って初めて名付けられるものであり、最中にいる時は決してそれと認識されません。無くなって初めてそのありがたみを知る。なんとも哀しいことですが、人間の感性と悟性がそのようになっている以上、仕方が無い事かもしれません。
 僕の日記も来るべきその日にむかって書いている所があります。失ってもしくは終わってしまってから初めて判る楽しかった日々。最近脳の記憶力に自信の無くなってきた僕は、その長く楽しくくだらなかった日々を思い出す時のきっかけの一つになればと思い、この日記を書いています。そういう意味では僕はこの日々が「無くなること」よりも「忘れてしまうこと」を恐れていると云えます。イタいとか残念だとかいささか露悪的な所もありますが、そういったことも含めてその日自分が感じたことをなるべく残しておきたいなぁと思っています。必要以上に回顧が多いのも意識的にそうしている。言うなれば僕の主たる読者は「10年後の自分自身である」と云えます。
 ただ、そういった備忘録的なことだけを残せばいいのであれば、かつてやっていたように日記帳でも設えて書き残せば済むことです。わざわざネット上で自分の恥を晒すことも無いw
 今年の初めこの日記を始めたとき、備忘録的なこと以外に、もう一つ考えていた目的として、今まで僕がハロプロについて考えてきたことが、他の人々にはどう映るのかということに興味があった、というのがありました。要は一人で抱え込んで悶々としてたので、自分の考えを同じ趣味を持つ仲間に聞いてもらいたかった訳です。
 勿論自分の考えを書き殴っただけでは相手に届かないし、見てももらえない。自分の思ったこと、言いたいことを系統立てて整理し、論理的に伝えなければ同意にしろ反対にしろ、意見を持って貰えない。自分の意見を正確に要領よく伝える技術が必要です。「面白く書けるか」というのも重要なファクターでしょう。しかし、それよりも前に「他人に伝えたい」「分かってもらいたい」という意思が無ければ、全く意味をなさないように思います。
 近頃の僕はこの「他人に伝えたい!」という意志が希薄だったように思います。日々の忙しさにかまけて備忘録としてこなすような日記。其処にはユーモアや露悪趣味などいささかの技巧は凝らされておりますが、他の人に伝えたい思いが無かった。僕の場合本来両輪であるべき書く目的が、いつの間にか片輪走行になってました。赤面すべき思いです。
 何か突然現れたような印象を与えがちですが、実はてってけさんの昨日と本日の更新「何のために更新するのか?」などなどを読んで考えた僕なりに考えたことデス。要は初心を忘れていたとゆうこと。
 しかし他人に上手く伝えるというのは、不敏なる僕には一朝一夕にできることではないと思ってます。アレコレ技術的なことを思案しても明日になると千古の名文が書けるとは思えない。こちらはボチボチやるとして、とりあえず「他の人に伝えたい」という意志は持とうと思う。「隗より始めよ」といいますが、僕にとっての「隗」は「初心を思い出すこと」でしょうか。
 以上代々木3日前でした。