故意にカマ騒ぎ

本日初日の舞台「オペラ・ド・マランドロ〜リオデジャネイロ1941」を観てきました。今後観に行く予定は今のところないので全力でネタばれします。といっても原作は舞台演劇の「古典」なのでネタばれがどーのというレベルではないのかも知れないけどまぁ一応。
項目としては

・全体について
石川梨華さんについて
・他の登場人物について

とする予定です。多分今日中には終わらないと思う。昨日観た「猫目倶楽部2」の感想も書きたいし、てんやわんやですよ。
 ほんで本題。

◆1. 全体について

1890年代のロンドンが舞台。貧民街ソーホーの顔役マッキー・メッサー(マック・ザ・ナイフ)は街で出会った少女ポリーを見初め、その日のうちに彼女との結婚式を挙げる。ところが実はポリーはロンドンの乞食の総元締め・「乞食王」ピーチャムの娘だった。二人の結婚を知ったピーチャムと彼の妻シーリアは娘を寝取られたことに怒り、マッキーと分かれるようポリーを説得するが、ポリーは全く耳を貸さない。


何としてもポリーとマッキーを引き離すため、ピーチャムはロンドンの警視総監ブラウンにマッキーの逮捕を要求する。折しも女王の戴冠式のパレードが予定されているので、もし逮捕しなければ、その大切なパレードの最中にロンドン中の乞食を集めてデモ行進をすると脅す。


愛人ジェニーの密告で捕らえられたマッキーは、牢獄の前で起こった愛人の一人ルーシーとポリーの喧嘩がきっかけとなり脱獄に成功、再び街に戻る。一方ポリーは銀行を乗っ取ってシティバンクの長に収まり、マッキーを頭取にする。そんな中、マッキーの脱獄を知ったピーチャムはブラウンがマッキーを逃がしたと勘違いし、脅迫通り乞食のデモ行進を戴冠式のパレードにぶつけることになる…


あらすじ−三文オペラ

原作の「三文オペラ」は学生時代に教養の授業で観ましたが10年以上も前の話なのであらすじはウィキペディアから引っ張ってきました。その時に持った感想は「訳が分からない」。
訳が分からなかった最大の理由は「物語の終わり方が唐突すぎる」ということでしょうか。上のあらすじの後、マッキーは死刑を宣告されます。にも関わらず、執行直前になって女王の即位によって恩赦になるだけでなく、貴族にまで列せられます。執行寸前の死刑囚が一瞬で貴族になり、ハッピーエンド。その唐突さと訳の分からなさにのけぞった想い出がある。
で。
今回の作品は上記が下敷きになっていますので、ぶっ飛んだ終わり方をする点は同じですが、原作が恩赦で貴族になるのに対し、今回はリオでの舞台そのものが虚構=劇中劇でしたというもの。TV 版のエヴァや両国踏四股先生の「ウロボロス基礎代謝」と言えばいいでしょうか。起承転結全く無視のため、カタルシスのないモヤモヤ感が良く似ていて、不評であるとすればその辺も原因の一つになるのかも。
ただ、起承転結にカタルシスというのはあくまでも舞台一単位で考えた場合の約束事の一つに過ぎず、われわれはロジカルな起承転結が必ず起きる「都合の良い」世界に生きている訳ではない。となれば現実を反映させるものとしてああいう終わり方もブレヒトの試みの一つとして理解できるように思います。確か彼はカタルシスのある演劇を「劇的演劇」として否定してたんじゃなかったっけ。
まぁそんな訳で本作も暴力的な唐突さで現実に目覚め、最後は「えりかさん総登場のカーニバル」と言った趣で終わるのですが、そのパワーの源としてラテン系のノリや猥雑さは必須アイテムだったように思います。だってあそこまで能天気な勢いで迫られたらこっちもそれはそれでアリかもなという気分になる。少なくともぼくはなった。
また、登場人物の陽気なアウトローさもあの空気にマッチしていて妙に納得できる。三文オペラの舞台設定をブラジル(ラテン系)に持ってきたヤツは天才つーかスゲエと思ったのでした。
面白かったです。


続け。