同曲異歌

 昨日のソフィオ(id:utusemi)さんのコメントに対して。頭を整理しても長くなりそうだったので別項を設けました。後、ウチの日記がコメントいただいても何故かアンテナに反映されないってのもある。
 僕の場合、基本的に楽曲を聴くのにその時のバックグラウンドを持ち込むことは無いです。好きか嫌いかだけ。勿論その曲の世界観を理解する術として後付で持ち込むことはありますが(例:空LIFE GOES ON)。その辺のスタンスは昨日の楽曲大賞の選考基準に端的に現れてると思います。生まれ持ったものか適応の結果かは判らないけど希少種ではありますよねw
 「モーニング娘。の楽曲にはオリジナルという概念がない。その時その時の娘。たちによって歌われる楽曲がオリジナル曲なんだ」という意見は大いに卓見だと思いました。Loveマシーンにしろ何にしろ、僕の中ではそれぞれの体制のときのVer.が同工異曲いやちがうな「同曲異歌」として並列に存在してる。いわば「DD(どれも大好き)」w
 それが変わってきたのがこの前の武道館。そのときの感想で僕は「パパに似ている彼」に駄目だしをしました。その時は「オレも旧モーニング娘。の方を望むようになったか・・・」とショックで凹んだのですが、今考えてみると今回のことの予兆だったようです。単に「より好きなのはどっち?」ということ。いや「どっち?」という二者択一ではなく「どれ?」か。兎も角今まで並列に並んでた物を一部に格差をつけるようになった。余計な作業だけど。
 このことは推しメンである石川梨華さんが卒業したことと関連してる気がします。盲目フィルターが無くなって、それぞれのパフォーマンスを堪能し、エキストラの作業として今までのとつき合わせてみる。僕にとって新たな楽しみ方なのかもしれません。
 ここからは蛇足。
 そういうバックボーンがあるので「持ち歌で無い歌を歌う」所謂「カラオケ紺」のコンセプトに対しても抵抗はないです。勿論それは本職である「ペナントレース日本シリーズ」の流れから外れた「オールスター」にとどめてほしいというのはあり、更にお祭りなのにクオリティにはいちゃもんつけますがw、コンセプト自体を否定する気にはどうしてもなれないです。詳しくは9月21日の更新でアレコレいってます。
 ただこっちのほうも変化の予感はある。それは美勇伝の持ち歌、例えば「紫陽花」をメンバー以外に歌われたら?ということ。夏のハロ紺は「まこキノコ」のおかげかどうか「カッチョイイゼ」は大丈夫でした。ただその後に経験した秋のライブがあまりにも素晴らしいものだったので冬のハロ紺で実際目の当たりにした時どうなるかは・・・一寸楽しみでもあります。今の時点で否定しようとは思わないけど。