コンサにまつわるエトセトラ

 週末はいよいよ横アリですが28日は娘。のデビュー8周年ですね。何かやるのかしらん。というこちらの事情はさておきMCでなっちやかおりんがそのことに触れてくれれば良いなぁと勝手に思っております。土曜日行くので^^;
 そのコンサートにまつわるモノを幾つか。
 内ゲバに乗っかった品性を欠いた更新です。こういうことをやるからいつまでも騒ぎが収まんないと糾弾されても仕方ないのですが、前振りにコンサネタを持ってきちゃったので^^;半分冗談。自分の狭い視野だと気づかなかった部分もあり、FCの当選発表もあって気が向いたということもある。ベリの公演2公演も申し込むんじゃなかったorz
 手抜きにしては無駄に長いので畳みます。言及内容としては

○コンサート中のメモ取り行為
○コンサート中の余所見
○会場での着替えが女性に与える悪影響

 最後のは夜でしょうね。多分。
 ○コンサート中のメモ取り行為について
 元がどこかも判別できないし、今更感があるので引用も解説もしません。ただ「コンサート中のメモ取り行為は不粋だ。」という考え方はナルホドと思った。確かに演者のパフォーマンスを楽しみでくるのが主目的なのに、後に残すために必死になって「今」を堪能しないというのは本末転倒感はある。
 ただその楽しかったコンサートを忘れないためのツールとして「メモ取り」というのも理解できます。「忘れる」と一口に言っても、インプットに失敗したためなのか、インプットは上手くいったが意識上に再生できないためなのか、原因がいろいろありますからそれを回避する手段としては有効でしょうね。同時に舞台上を楽しむために工夫してらっしゃるでしょうし。
 まぁ「コンサートを楽しむ」という中での立脚点、重視する点の違い、極言すれば文化の違いでしょうから良し悪しではないし話し合う類のものだとは思えないです。自分の立場を思いやってみるきっかけにはなりました。
 ちなみに自分も備忘録は書きますが、メモは取りません。記憶に残らないようならそれまでのモノだったと思ってるので無理に記憶しようともしない。頑張ったのはディナーショーぐらいでしょうか。ただ他所で上がってるセットリスト・レポを見て芋づる式に思い出すことは多いのでその辺は感謝しております。
 未だメモを取る人を目の当たりにしたことはありませんが、これから先出くわしたとしてもペンを振り回して暴れない限りは何とも思わない気がします。
 ○コンサート中の余所見について
 自分で振っといてナンですが、こいつは難しかった。何をもって「余所見」というか定義が曖昧。「演者ひいては推しから視線を外す行為」ということで言うと自分は完全無欠の落第生でしょうね。結構別のところ見てます。
 や、バカとかキモイ人を観察しに来るほどお金に余裕はありません。舞台上は基本見てる。じゃあ何を見てるかというとまずはサイリウムの海。場内が暗転し現れる色彩。綺麗です。現場6年を越しましたが未だに新鮮でキョロキョロ見回してます。
 まぁこれは序の口。視線が舞台上にあっても別のところを彷徨ってることもある。主に「演者のシルエット」を見てることが多いのに最近気づいた。きっかけとして影絵芝居やシルエットを使った「メモ青」のPVが好きだったというのはあるのかもしれない。ホール級の会場が多くなり横壁に映えるようになったというのもある。娘。に関しては推しが居なくなったということもあるでしょう。そういった物が重なってのことなのでしょうが「演者に失礼」な行為かもしれませんね。
 しかしステージの演出法の一環としての「ライティング」ということを考えてみるとそう捨てたもんではないのでは?とも思ってます。実際の演出意図にそんなものは無いかもしれないけど。
 印象的だったのは美勇伝秋の「曖昧ミーMIND」。個人的解釈になりますが、この曲のイメージを聞かれたら僕は「深海」と答えます。論理的根拠はありません。「兎に角そーなの!」と我を張るしかない^^;
 そう思ってる僕にとって、この曲の青基調のステージはまさに「ど真ん中」でした。深海を思わせるステージに前面から当たるライト。当然後ろにはシルエットができる。んで、元々この曲の振りは女性の柔らかさを特化したモノなので、シルエットを見ると深海で蠢く蛸を思わせ(大いに誉めてます!)、実物のエロさもあいまって当時の僕は悶絶しました。一挙両得を思わせる贅沢な舞台演出だった。
 ライブの面白さというのは演者の歌やダンスが第一ですが、衣装や演出によって作り上げる「世界観」もあるのだということを改めて実感しました。ライティングというのも少し注目してみようかな。
 そういえばごっちんの「愛のバカヤロウ」も印象的なライティングですよねぇ。