時の河(承前)〜青空の10人

 後半に入る前にフィーチャリング矢口の「ギャルサー」に逃避しました。そう、本日は早退。なんだかんだ言ってはじめて見たのです。出だしのカポエラ親父との遭遇でみどり茶噴きました。わざわざコレだけのために友情出演をブッキングしたプロデューサーに乾杯。銭湯の娘!?万歳!古田さんと生瀬さんはホンとバカですねぇ、大好き。
 エピソードそのものとしては群像劇にある主要キャラメインのトラブルなんで何時出してもいいんですけど、主要人物であればもう少し後でも良かったかなぁ。「エンゼルハーツ最大の危機!!!」というような後半の山場の前に^^;
 それにしても戸田恵梨香サンって初めてまじまじと見たけどどことなくhiroに似てるなあ。パッとした美人さんじゃないけどよく見たらって人は結構好きです。昆布みたいなもんだ。以上って彼女も「梨」じゃんwww
 さて本題。
 前項②について。この区切りは自分の主観が大いに入ってるので何ともはやなんですけど2005年頭の最後の「オリジナル」飯田さん、最後の「同志」矢口さんの卒業、脱退を経た後、最初期からの「イズム」を受け継ぎ後輩たちに託した「次女」石川さんの卒業で一端区切るべきかなと今では考えています。
 そうやって生まれた「青空の10人」。素晴らしい言葉ですね。アクシデンタルな出来事だったけどその時の娘。の空気感を表す曲が存在していたのも本当に良かったと思う。一枚岩、多幸感…今の娘。を表すのに適当な言葉かどうかは分かんないけど奇しくも「黄金の9人」に雰囲気は似てる。
 ただこの「青空の10人」がこれからの娘。史に屹立する「一つの時代」になり得るかは時間が経たないと分からないなぁと言うのが正直な所です。というのは2人が抜けた後の娘。が人数は減ったけど等質の「青空の8人」になるかもしれないと思っているから。
 …先ほど多幸感という言葉を使いましたが、穿った見方(というか俺の見方)をするとコレ、「均質すぎて個々の顔が見えにくい」と言う風にも取れるんです。極端な話誰かがコケても穴埋めが効くほど個々の完成度は高いけど、誰かが抜けるという出来事がグループのカラーが変化せざるを得ないほど重要な出来事には「ならない」ということかもしれない。
 例えば10人のテストが平均80点だったとします。じゃあそれぞれの点数が何点だったかというと「全員80点」。今の10人ってそんな感じ。120点もいれば40点もいる、という集団には見えないんですね。どっちが好みかは好き好きですが2人が抜けてもクオリティは下がらないだろうし、カラーもひょっとしたら変わらないんじゃないかと思ってます。それはそれで良いのかも知れませんし、変化し続けることが必ずしも良いことではない。ただ紺野さんや小川さんの存在がかけがえの無い存在であった事の証左が目に見える形で残って欲しいとも思うんですけど、感傷的に過ぎますかね?
 もう自分は娘。については紀伝体ではなく淡々と編年体で出来事を記述する存在でしかありません。それでも歴史学者の出来損ないとして彼女たちの姿を目に焼き付けてきたいと思います。「11人目」として。