バタフライ効果

 ボツにした原稿も充分痛かったですが昨日付けのも随分で恥ずかしい。項を改めてもう少し現実的なことを話しましょう。ストーカー(仮称)の話。
 自分は今回のことで公式発表から入った人間で、アルバム発売直後に流れてたネット上での火種は知らず後付けで知る形となったのですが因果関係は別としてストーカー問題は今そこにあり続ける危機として当然放っておける問題ではないと感じました。今回の騒動(ネット流出)が終わりだとはとても思えない。
 と今気軽にストーカーストーカーと書きましたが「ストーカー」と聞いてイメージとして思い浮かぶ「恋愛その他の好意感情が満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で住居を見張ったり、つきまといや待ち伏せ、無言電話などを行う」という歪んだ愛情の発露という典型よりはもっと愉快犯的な臭いがしました。今回は。行動原理としては

1.(一般には知りえない)メンバーたちのプライベートを知りたいという好奇心、独占欲。
2.それを手に入れ第3者に開示する際に覚える自慢の感覚や優越感。
3.その際のやり取りに伴うスリル感や充実感。
4.お前らが崇めてる○○の正体は××(自主検閲)なんだプギャーという破壊衝動、ボランティア精神
5.巻き起こる騒動を時には煽りながら高みの見物。

こんな感じ。まとめて言うならば他者の感情を弄ぶ「(似非)造物主」の快感なんじゃないかなぁ。天空の城ラピュタムスカ大佐がラピュタの支配権を手に入れ、遊びで装置を動かす際に「見ろ、人がゴミのようだ!」という名科白を吐きますがちょうどあんな感じ。邪悪なキャスティングボートを握るような感覚ですか。
 こう考えてしまうのは℃-ute自体にまだ知名度がないのでアイドルゴシップとしてはぶっちゃけ経済的価値がないからなんですね。今回のリークは金銭面が伴うというよりは別の、精神的な満足を求めてだったんじゃないでしょうか。そういう意味では計算高く職業的な感じもする。
 ですからファン側が騒げば騒ぐほど思う壺ですよね。んでそういった連鎖反応の最終段階として事務所のああいうリアクション(脱退)まで帰ってきた。因果関係は関係ない。連中にとってはそこまでの結果がでたっていう事実の方が重要、真相は関係ありません。当初から筋書きに入ってたかは分かりませんが最悪の結末を迎え楽しかったでしょうね。あー書いてて胸糞悪くなってきた。
 今回一定の成功を引き出した以上、連中はお金とは関係ないところでもまたやるでしょうね。楽しいから。自分が憂慮するのはまさにそこです。罵倒して効く様なハート様も持っていないでしょう。
 対策としてはもう事務所側の善処に期待するしかなく、実物を捕まえるメンバーに対する(狙われるような行動をしない等)徹底的なレクチャーなどが考えられますがそれでも防げなかった場合こちら側がとりうるのはやっぱり騒がないことが一番かなと思う。
 火種を火事にしない、もしくは火事を火事だと認識しないってことですね。これだけ引っ張ってきて馬鹿馬鹿しいかもしれないんですけど簡単なようでいて一番難しいことだと思う。後付なんですが今回最初のリークが出た時点でアブない行為だと感じたのは

1.掲示板での書き込み
2.自分のブログでの言及。

でした。特に2.の方は自分の「アイドル道徳」に基づく擁護、批判を行ってた方が結構いらっしゃいましたがどうも火種に風を送るような行為に見えて仕方が無かった。勿論ストーカー側のように悪意で出た行動とも思えないんですが言及自体が事務所に「ボーボー燃えてる火事」だと気付かせる要因になってる。事務所にとっては不特定多数の匿名掲示板よりも顔がある程度見えやすい「個人ブログ、テキサイ」での言及の方が火事の危機感は増すような気がします。勿論掲示板の方も「不特定多数の総意」と取られかねない意味で大変危ないのですが…一つ一つのサイトは小さくて団扇程度の風しか起こせなくてもうなぎの蒲焼程度は焼ける威力はありますし集まると結構な風量になる。
 繰り返しますが向こう側(事務所)に「消火不能」と思われた時点でもうアウト。何を守るのかはその時によって違うでしょうが経験的に誰も救われないような処置をとることでしょうね。その時に事務所が悪いって喚いてももう遅い。そうならないためにも無駄に終わるのを承知で言っちゃいますが、どれだけ真摯でもメンバーのプライベートに関する事や不確かな噂に対するリアクションはやめようよということです。
 ここでのリアクションってのは主にネット上のことを指します。自サイトでの言及とか書き込んでスレを伸ばすということといった行為。そういう意味ではメンバーの目撃情報とかもヤバイ。以前メンバーからのファンレターの返事が公開されたことがありましたけどあれも火種を作るという意味では今回のストーカーと本質的には何ら変わらないのではとさえ感じています。
 勿論人の感情が介在することだからこういう頭で組み立てた木っ端な理論は吹き飛ばされるんだろうし、自分のこの「リアクション」も水面に新たな波紋を描くようなことで風を送るという意味では何らか変わらないのでしょうが、自分の団扇の風がいつの間にか嵐になっているかもしれないという可能性については常に頭においておきたいですね。一匹の蟻が巨象に立ち向かうような無謀さと虚しさは充分感じております。それでも書かずにいられないってのはあって、また自戒のつもりで記しました。