展覧会の絵


 入梅したにもかかわらず、今日はカラリと晴れてまことに暑うございました。すんげー汗だく。前日の懸念もなんとやら、自転車を使えることをいいことに本日は国立博物館に「受胎告知」を見に行って来たよ。閉幕を明後日に控えているせいか人がすげぇ。15分ほど待った後、手荷物検査、金属探知機を経て中に入りましたが、入ってすぐに遠目で見えるわけですよ。「受胎告知」さんが。
 本作の主題『受胎告知』は中世〜ゴシック期より最も多く描かれてきた宗教主題のひとつで、神の子イエスを宿す聖なる器として父なる神より選定され、聖胎したことを告げる大天使ガブリエルと、それを静粛に受ける聖母マリアの厳粛な場面である(以上パンフレットの受け売り)のですが、今の時期の僕にとって天使イコール石川梨華な訳です。当然頭の中では「恋する♥エンジェル♥ハート」が流れ、ハートは初めて石川さんと握手を交わす前の時のようにドクドクと何かみなぎっていました、ハイ。
 折角の機会でしたので混雑の中をさらに並んで、183センチの身長を省みず嫌がらせのように最前で拝見させていただいたのですが、いや凄いね。絵の具を何層積み重ねたんだ、というくらい表面がトゥルトゥルだった。その他異様にに写実的に描写される野草や床面、空気遠近法を用いた高度な遠景表現などが駆使されていて絵を描くってホントスゲェなぁと感心しました。天才の入神の技量というか執念を見たような気さえした。表情が妙に記号的なんですが彼の二十歳頃での作品らしい。この後彼は画家だけではなく様々な分野で才能を発揮し始めます。
 その「遍歴」が別会場で催されてたんですけど、その仕事が半端ない。目に映るあらゆる自然現象を物理・数学的法則に則って分解しちゃうんですよね、レオナルドさんは。自然を律する「神の御業」を仮説を立てて実験により実証するのが科学な訳ですが、キリスト教の力が強いこの時代、それを明らかにしていくのは「途轍もなく大それたこと」であり、ダヴィンチさんは「大いなる罰当たり」だった。まぁそれでも彼のプライオリティはやっぱり絵画表現にあった様で、膨大な研究によって得た物を全て絵画上で再構成することで「受胎告知」では見られなかった「人間の感情」を絵画に込め、「最後の晩餐」そして「モナリザ」として結実させました。
 とまぁ天才の一生を追体験していささか酔った様な気分になりましたが、こんな膨大な仕事量は逆にどっかで圧倒的な不足をもたらすんだろうな、と思った。例え天才といっても1日は24時間ですし、身体の構造が人と違うわけでもないですからとどのつまり何かを犠牲にせざるを得ない。彼の場合はそれが友達と大いに飲んだり、妻子と仲良く過ごすような「普通の生活」だった気がします。興味がなかったのかもしれないし、そういう生活があることを知らなかったのかもしれない。いずれにしても彼の内面に大いに興味が湧いてくるのですが、佐藤賢一さんの短編「ヴォラーレ」は一つの解答なんだろうなぁ。

ジャンヌ・ダルクまたはロメ (講談社文庫)

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