拍手と5850円!!!

 本日は℃-uteさんの舞台、劇団ゲキハロ第2回公演「寝る子はキュート」のソワレに行って参りました。少し内容についてネタバレする部分があるのでご注意を。また今日はとりあえず大いにかみついてやろうと思っているので、その辺が嫌な方は回れ右が良いかも。
 んで本題。
 やり玉に挙げたかったのは「拍手のあり方」について。
 具体的にはメンバーの初登場時の拍手とメンバー全員が並んでオリジナルの主題歌(?)とフリを披露する「オープニングシーン」の手拍子。自分は1階の19列目という比較的後方だったんですけど登場時の「台詞」と「歌詞」がほとんどって良いほど聞こえなかったんですよね。
 「舞台」ってのは小説のように設定や状況を説明してくれる「地の文」が存在しません。脚本にはト書きがありますが、舞台で物語の設定や登場人物の性格などの必要な情報、そして物語りそのもの全てを役者の台詞と動作で観客に理解させなければなりません。そして歌には「歌詞」と「曲」がある。従って僕は舞台上で不必要な台詞なぞ存在しないって思ってるし、歌っているのをみると曲だけではなく歌詞まで楽しみたいな、と考えています。ですから拍手のせいで「台詞」が一部聞こえなかったのはハッキリ言ってムカついたし、手拍子のせいで「歌詞」まで楽しめなかったのは正直萎えました。
 ただ同じく拍手に邪魔されたといっても2つの「拍手」の意味は若干違うように思うんですよね。ここで整理してみましょう。観客が送る拍手として

1.感動を表現する拍手
2.舞台を盛り上げる拍手
3.期待を表現する拍手

の3種類が考えられます。「感動を表現する拍手」は通常ラストでやるものでアンコールやスタンディングオベーションはその最たるものです。劇中でも感動すれば自然と出るものですが全員が揃うってのは滅多にないんじゃないかと思います。
 そして「舞台を盛り上げる拍手」。これはショーなどで舞台と観客の一体感を表すもので、コンサートでの手拍子もこれにあたると思います。今回のオープニングシーンでの歌での手拍子もここに含まれる訳で日頃コンサートがハローの主戦場である方々が歌があれば手拍子を打ってしまうのも自然な話ですよね。ただ歌詞が聞き取れないほどやっちゃうのはやっぱ問題だと思う。対策としては手拍子やめてくれと言うこともできますが、演出側がマイクの音量上げてくれるというのが着地点かな。これはラストのミニ「ライブ」でメンバーの声が聞き取りにくかったことから思いつきました。因みにこのミニライブは激しく要らないと思ってますがここでは割愛します。
 難しいのはラストの「期待を表現する拍手」。これは歌舞伎役者へ大向こうがかける「よっ、成田屋!」とか「待ってました!!」のような物で記号的というか一種の約束事のような物だし、観客が役者へ送る「愛」ですから、やること自体は決して間違ってはいないんですよね。ただ台詞が聞こえなくなり、舞台の理解の妨害になるほどやるのは本末転倒。本心を言えばこの種の拍手はやめてほしいし、観客として最低限考えてやってほしいなと思ってます。闇雲にやりゃあイイってものではない。
 どうしても止まないのであれば、向こうの音量を上げるとか対策は必要でしょうね。難しいのであれば「ショーストッパー」という言葉もありますし、拍手が終わるまで演技を中断するのが現実的でしょうか。
 ちょっと神経質な物言いなのかも知れんけど僕としては「舞台をやってる℃-ute」というより「℃-uteがやってる舞台」という認識で行ったので舞台の理解を妨げる要素はやっぱ一考に値するだろうなと考え、敢えて問題提起してみました。1回しか見ない舞台がこんな形になったのは非常に悔しかったし。まぁ絶滅危惧種ぐらいの少数派なんでしょうけど声は上げないと届きもしないんでね。
 内容についてはまたの機会に。