祇園のアイドル

 舞妓Haaaan!!!パンフレットより。

お茶屋遊び」というのはオタッキーな娯楽である。伝統、文化、格式、そういう勿体ぶった装飾が多いから気づかないだけで、「お茶屋遊び」に耽溺する、あるいは憧れる人々というのは実のところただの舞妓さん萌え、芸妓さん萌えだったりするのだ。ハァハァ。(中略)。彼女らのあの白塗は「個」や「素」を隠す為の仮面である。おっとり柔らかな独特の話し方だって地方訛りを誤魔化す為のテクニックだしおこぼにだらりの帯だって非日常を演出する為のコスチュームなのだ。そうなのだ。あれはお茶屋メイドさん喫茶は本質的に同じなのだ。たぶん客の妄想(勘違い)が暴走する感じも似ているであろう。(中略)。ただ大きく異なる点は、メイドさん喫茶の店員が付け焼刃のアルバイト店員であるのに対し、彼女らは徹底的に所作や芸事を仕込まれたプロフェッショナルだというところ。


入江敏彦−舞妓さんの世界

 入江さんは花柳界メイド喫茶に結び付けていらっしゃいますが、僕的には「アイドル」と結びつける方がしっくり来ました。

(類似点)
・対象への萌え、愛情などの好意的な感情をお客が持つ。
・「置屋」というプロダクション、「お茶屋」というステージ、そしてお客。
・アイドル、白塗という「ペルソナ」。
・お客を楽しませるエンターテイナーの訓練を受けている。

 最後の点は一般的なアイドルに敷衍できるかチョット疑問な所があるけど。

(相違点)
・心理的な距離の遠近。
・閉鎖系と開放系。

 お茶屋遊びがふれあい前提であるのに対し、アイドルにはふれる事はできない。身請けなんぞはもってのほか。
 前項に関連したことなんだけど最大の違いが「一見さんお断り」なんだろうなぁ。「お茶屋遊び」がお馴染みさん対象の「信用第一」であるのに対し、「アイドル」の対象は不特定多数。ある程度時代に即したスタイルの変化が期待できるというとともに傍若無人なよそさんに蹂躙し尽くされるという危険性も秘めている。商業化という点から考えると良いかもしれない。
 とまぁ思いつくままに挙げてみましたが、実際こういうことを考えながら見ていたわけではなく、只管がははははと笑って、あぁ明日も頑張るか、そういえばイジリー岡田ってどこに出てたっけぐらいの感想。後になってあの非日常的な設定はどこから来るんだろうと考えてて、やっぱ「お茶屋遊び」の非日常性がキーなんだろうなということから、ちょっと膨らませてみたというだけの事です。
 ただ、記号論・象徴論としてのアイドルは語られることが多いけど、日本の風俗・芸能史などの歴史の一部としてのアイドル(not アイドル史)を語った記事はそれほど見かけたことがない。まぁ僕が知らないだけで「お茶屋遊び」と「日本のアイドル」を結びつけることはとっくにやられていると思うんですが…兎に角「アイドル」というシステムは元々日本人の精神風土にあったから受け入れやすかったのかもなぁ、とふと思ったので大風呂敷を広げてみました。直接の下流はどっちかというと「キャバクラ遊び」でしょうが。
 因みにキャバクラとアイドルについても関連があるのではと思っていますが、前に述べたことがあるので割愛。
 参考エントリー
 蛇足ついで。もう一つ興味深かったのが「衿替え」という習慣。パンフレットによると

舞妓は四、五年ほどで衿替えをして、芸妓になるんどす。舞妓のときの赤い衿から白い衿に替えるという意味があるともいわれてます。

(参考)芸妓
舞や三味線などの芸を磨き、宴席に今日を添え、お客さんをもてなす女性のことどす。衿替えをして「芸」で身を立てる大人の女性にならはったんどす舞妓は本来、芸妓になるための修行期間なんどす。

 厳密には違うんでしょうが、宝塚の「専科」はこういう捉え方で良いのかな?極端な話「娘。からの卒業」もハロプロ内での「衿替え」と捉えて良いのかもしれん。エンターテイナーでさらに精進・進化するという意味でね。この辺は昨日のこともあってふと思いついた。またB&℃には今のところこういう形での通過儀礼が用意されてないから、誰か一人「卒業」ということになるとユニットとしてはどうなるんだろうなぁ、とも思った。