御柱祭〜上社里曳き見学

写真多いです。

信州諏訪大社では7年目毎の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭(おんばしらさい)」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の人がこぞって参加する天下の大祭です。
(中略)
祭りでは、長さ約17m、直径1m余り、重さ10トンを超える巨木を山から切り出し、人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てます。柱を山から里へと曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に上社・下社それぞれで行われます。


御柱祭」パンフレットより


今日は上社のフィナーレ、上社本宮の里曳きを見に行ってきました。ただし今日も若干寝坊したので全行程は見られなかったのよね。しかしそもそもが行き当たりばったりなのであまり気にせず一路信州茅野へ。
どうせなら本宮だけでなく、前宮から詣でようということで、茅野駅から本宮方面のシャトルバスには乗らず、徒歩で前宮へ。かなりの晴天で長野なのに暑いとぼやきながら30分ちょっとで到着。駅の案内板には50分ほどかかると書いてあったけど意外に早かった。



前日で建御柱が終わったせいかかなりのどかな雰囲気。人もそんなに多くない。



ピチピチ?の御柱。かなりデカい。近くで見ると意外にすべすべした質感でスマートだなという印象。



てっぺんに御幣が打ち付けてあって神々しいです。そういえば神様って「柱」で数えるよな。



前宮を出た後は道路についた痕を辿って本宮方面へ。追いつくのか?



あっけなく。



前宮と違い、いろんな所に人大杉
入場規制中で本宮二之御柱は遠目で眺めるだけ。三、四も氏子さんしか入れず。「正面の方は遅れてるという」他の見物客の話を小耳に挟み一之御柱の方へ。



確かに。二之御柱よりは傾いている。という表現は不適当かも。



地区の皆さん総出のロミオで建つのを応援。ロミオというのか良く分かりませんけど、音楽にあわせて手を広げるその光景はハローのコンサートを見ているようでした。魂を込めて何かを応援するのってジャンルを超えて似るものかもしれない。
音楽も太鼓中心の雅楽のようなものかと思ってたんですが、ブラスセクション中心の軍楽チックなもので意外に近代的。神社と吹奏楽の取り合わせが凄く印象に残っている。



クララ、もといハシラが立った!
記念の垂れ幕には「山吹の 氏子見守る 御神木」と。五・七・五。



その後御柱に張り付いていた氏子さんが下り、足場が取り払われてこの姿に。建御柱無事完了。



二之御柱のあとは、規制が解除された社殿裏側の三之御柱、四之御柱も見てたんですが、四之御柱は建御柱完了後なぜかカラオケ。
御柱祭〜♪」とか何とか言ってたのでオリジナルソングだと思うんだけど、いくら裏山方面とは言えカラオケやっちゃって良いんでしょうかと他人事ながら心配になった。逆に御柱祭の懐の深さが感じられもしたんだけど、合いの手の入れ方がハローのコンサート見てるようでまたしてもデジャヴュ。


このあと携帯の電池が切れたり、デジカメのメモリーが満杯になって、役立たずの電化製品2点を抱えることになったんですが、大して気にすることもなく、諏訪大社を後にしたのでした。


というわけで軽いカルチャーショックも感じつつ大いに楽しんだのですが、やる方は巨大な柱に2, 30人が何時間も張り付いているわけですから、まさに命がけ。気力・体力が尽きると何が起きるかわからないレベルでやるわけで、だからこそ応援にも力が入るし、氏子全員の魂を御柱に込めることで、ただのモミの木が神様になるということでしょうか。
たかが祭りを命がけでやるってどんだけ愚かなんだよという意見もあるかもしれませんが、祭りって本来そういうものだったのかもしれない。どういうものにしても伝統を守るというのは生半可なことじゃできないことなのだと改めて感じました。
最後に。
行き帰りの電車では諏訪大社の祭神である建御名方神が重要な役割を果たす「狂骨の夢」を読んでました。旅先に関連する本を読むのも風情があってなかなか良い。今度は奈良の鹿の目の前で「鹿男あをによし」を読む野望を抱いています。京都なら「四畳半神話大系」で。

狂骨の夢 (講談社ノベルス)

狂骨の夢 (講談社ノベルス)