雨と浴衣と打ち上げ花火

800日特別記念号?


☆☆☆★☆☆☆ ☆


晴れ渡った夏の空があっという間に薄暗くなったかと思うと、
やがて大粒の雨が大量に降ってきた。
多少の雨なら我慢するけど、これは我慢の限度を超えている。
しかたなくハンドルを左に切った。


「保田大明神」と書かれている鳥居をくぐり、拝殿の軒下で自転車を停める。
首に巻いていたタオルで頭をごしごし拭いた。


遅刻だな…
雨粒がひっきりなしに落ちてくる空を見上げながら俺はため息をついた。


ふと人の気配を感じた。
横を見る。


同じクラスの鈴木と目が合った。



「……」
驚いたせいか声が出ない。
いや…浴衣姿の鈴木にみとれて声が出なかったというほうが正しい。


髪をお団子型に結い上げて、てっぺんをかんざしで留めている。
浴衣は紺地に色とりどりの朝顔で、お揃いの巾着袋…
いつも制服かジャージ姿しか見たことがなかった俺には刺激が強すぎた。


黙って動かないままの俺に鈴木もどう反応してよいか困ったようでまゆ毛が八の字になっている。
その表情で我に返った。


「す…鈴木も雨宿り?」
「う、うん」
「は、花火大会?」
「そ、そうだけど…」


会話終了。
ポツポツという雨の音だけがあたりに響いていた。
遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。


沈黙に耐え切れないのか鈴木が下を向く。
何とかしたいのだけれど、どうも頭が働かなかった。
仕方がない。
俺は少し濡れた頭を左手でかきまわしながら、
右手で携帯を取り出し、雨宿りで遅れるという内容のメールを打ち始めた。


「あ…」
鈴木がいつのまにか顔を上げてこちらを見ていた。
正確には俺の手元の…


カッパのストラップ。


「カッパ…好きなの?」
「あ、ああ…」
「ほんと? わたしもカッパ…大好きなんだ」
鈴木はそう言うとこの日初めて笑顔を見せた。


それからの鈴木はうって変わって、自分がいかにカッパが大好きかをしゃべり始めた。


家の机はカッパの置物だらけなこと、
冬はカッパの着ぐるみを着て寝ること、
誕生日に友達からカッパの本をもらって嬉しかったこと…


全く岡井の言うとおりだ。
カッパが大好きというそのセンスはともかく、
好きな女子が嬉しそうにしゃべるのを間近で見るのは想像以上に幸せな気分だ。
俺は雨の神様や保田大明神やらとにかく思いつく限りの神様に感謝した。



鈴木のことが気になり始めたのはつい最近のことだ。


クラスは1年のころから一緒だったが、
最初は何か生意気そうな顔をした女子にしか見えなかったし、
B組の菅谷と並ぶ学年の人気者であることが不思議で仕方がなかった。
それが変わり始めたのは…今年に入ってからだと思う。
しかしそれまでほとんど喋ってこなかったので、告白どころか鈴木と会話する事が俺にはオオゴトだった。


「今日も自転車なんだ」
鈴木はちょっと首をかしげ、俺の後ろに停めてある自転車を見ていた。
「あ、ああ。ちょっと待ち合わせに遅刻しそうだったから」
「いっつも自転車通学だもんね」
「そうだな。雨の日以外は自転車かもしれないなぁ」
と答えたところでふと疑問が浮かぶ。


なんで自転車のこと知ってるんだろう。
話したこともほとんど無かったのに。
岡井から聞いているのかもしれない。
まさかアイツ…喋ってないよな。


「わたしも自転車で通ってみたいけど、無理かもなぁ」
「なんで?」
「ほら…学校前の坂道。大変そうだし」
「あぁ」
「あそこを登ると鍛えられそうだよね。そっか、それで足速いんだ♪」
「……」
よく知ってるよなぁ。クラス委員だからか。


「いいよねぇ、足速いって。全然運動が得意じゃないから羨ましいなぁ、千聖とか」
「でも鈴木は歌…うまいじゃん」
「…ほんと?」
「ほんとほんと。春の新入生歓迎会でさ鈴木の歌聞いてさ、俺感動しちゃったよ」
「ふふふ」


「岡井も『愛理の歌にはしびれるゥ、あこがれるゥ』って言ってたし」
「……」
「だからさ、岡井は足が速くて、鈴木は歌がうまい。それでいいん…」
言い終わらないうちに俺は鈴木の表情が険しくなっているのに気づいた。
知らないうちに嫌なことを言ってしまったのだろうか。


遠くの空で鳴っていた雷の音が近づいているように感じた。



「鈴木…あの…」
俺は謝るつもりで話しかけたのだが、鈴木は
千聖のこと…好きなの?」


と想像もしない質問をしてきた。


「はぁ?」
千聖のこと好きなのかって聞いてるの!」
あまりの剣幕に思わずまばたきをしてしまった。
鈴木自身も自分の強い口調に驚いたのか、ばつが悪そうにそっぽを向く。


そっぽを向いたまま
「ほら…いつも仲良さそうに…話してるし」
「……」
よく見てるよなぁと感心しそうになったが、余裕をこいてる状況ではない。


「岡井は…その、た、ただの友達だよ。部活もが同じだし。それに」
「それに?」
「いや…」
鈴木の情報を聞いてました、なんて…言えやしない。



岡井とは部活が同じということもあり元々仲は良かった。
しかしそんなことより重要なのは鈴木と岡井が仲が良いということだった。
鈴木の事が気になり始めてから、岡井は貴重な情報源になった。


カッパのことや歌のことを聞くたびに、ガリガリ君だとかマックのソフトクリームを奢らされてはいるが。


そんなことを当の本人の前で言えるわけがない。


言いよどむ俺を鈴木は
「ふーん、まぁいいけど…」
と全然良さそうではない口調でそう言った。
あばばばば。


ゴロゴロゴロ…
雷の音が近づいていた。



何で怒ってるんだろう。
俺は鈴木の機嫌を損ねた原因を考えようとして、ある重大な事に気づいた。


もしかして俺と岡井のこと…誤解してないか?


俺は鈴木の事が好きだ。
でも、鈴木が俺と岡井のことを誤解しているのであれば、俺の恋は実るわけがない。
スタートラインにつく前に転んでいるようなものだ。


鈴木が何に怒っているのかは分からないけれど、誤解だけは解いておかなければならない。
ここは素直に…告白しかない!


というかそれ以外思いつかなかった。


よし。
大きく深呼吸。
土の香りが鼻をくすぐる。


「鈴木」
むこうをむいたままの鈴木に声をかける。


「あの…聞いてほしいことがあるんだ」
「なに?」
こちらを向いた鈴木の顔が稲光に照らされ白く輝く。


「あの…俺…鈴木のこと…が」


好きなんだ!と言った瞬間、


ドーンという音が轟いた。


「キャアアアアアアァ」



…橋の向こうがキラキラと光り、ドーンという音が辺りに響きわたる。


「あの…わたし…重くない?」
「だいじょぶだいじょぶ」
浴衣のせいか横座りの鈴木を乗せての自転車。
最初はバランスをとるのが大変だったが、ある程度スピードが出ると安定して漕げるようになった。


「花火、きれいだね」
「ああ…」
「風が気持ち良いなぁ♪」
「そうだな」
すっかり機嫌の直った鈴木が後ろで何か歌い始めた。



 君がいた夏は 遠い夢の中
 空に消えてった 打ち上げ花火…



鈴木の鼻歌を背中で受けながら空を見上げる。
さっきの天気がウソみたいに星が輝いていた。


…あの時。
雷の音に驚いた鈴木は耳をふさいでしまった。
俺の告白は不発に終わったようだ。


しかし俺は満足していた。


今考えてみると無謀としかいいようのないタイミングだし、あのまま鈴木に俺の気持ちがばれたかと思うとゾッとする。
こうして鈴木と話せるようになっただけでも大きな一歩なのだ。


自転車を停めて完全に遅刻の待ち合わせ場所に向かう。
ドーンと音がしてまた花火が上がる。


「きれいねぇ」
「あぁ」
鈴木と並んで花火を見上げる。


「あのさぁ」
「なに」
「これ…なんだか分かる?」
と鈴木が巾着袋から取り出した携帯電話にはてるてる坊主がついていた。


「…てるてる坊主?」
「おしい! るてるてずうぼって言うの」
「ほぉ」
「てるてる坊主なら晴れるでしょ」
「うん」
「これ…逆さまだからこれにお祈りすると雨が降るの」
「なるほど」
「今日は花火だからさすがにどうかなって思ったけど、やっぱりお願いしちゃった♪」
「何を?」
鈴木は俺の質問に答える代わりにこちらを見上げ、はにかむように微笑んだ。
暗がりでよく分からないが、ほんのり顔が赤い。


「あの…さっきの告白…」


ドーンという音が空に響きわたった。


(おしまい)